幾度となく、仕事へのモチベーションが下がったとき、プロジェクトやタスクの順序・内容・期待する成果に疑問を抱いたとき、自分自身の在り方に疑問を抱いたときのMP回復ルーティンの中に、「映画『プラダを着た悪魔』をみる」がある。
本来この記事は別サイトに寄稿しようかと思っていたが、よりパーソナルな部分と、偏ったマインドになっているため、本媒体・TARILOGで取り上げる。
本記事は映画版『プラダを着た悪魔』の核心的ネタバレをふんだんに取り扱っているため、未視聴の方はブラウザバックしていただきたい。
結局アンディは“ミランダ”と同じなのか?
ゴールから遡っていくほうがわかりやすいと思うので、終盤のミランダのセリフから取り扱う。
「私はナイジェルにしたような仕打ちはできません」
「やったじゃない、エミリーに」

これは、終盤、主人公アンディがすべてが終わったあとにミランダに「自分にはあなたのようなひどい仕打ちはできない」とはっきりと「NO」を突きつけている場面。
どのような仕打ちだったかというと、長年ランウェイ誌でファッションライターでミランダに貢献し、アンディがファッション業界が自分にまつわる巨大産業の一角であることを説明し、ハイブランドなどを使い、文字通りおしゃれに変身するチャンスをくれたナイジェルの出世の約束を反故にしたことだ。

そこで、ミランダは、アンディに「あなたもすでに同じ仕打ちをエミリーにした」と返している。
このミランダがいう、アンディがした仕打ちというのは、ミランダの第1アシスタントに昇格したエミリーよりも働きぶりをたったの7ヶ月でミランダに認めさせ、エミリーの夢だった「パリへ行く」チャンスを“最初はファッションなんて…と揶揄しているアンディが”奪い取ったことだ。(直後にエミリーが事故のため物理的にパリに行けないのだが、これはある意味結果としてはすべての救いかもしれない)(ちなみにエミリーのMacの壁紙はパリの凱旋門である)

それに対し、アンディは「仕方がなかった」と応酬を重ねているが、この映画の中盤以降、アンディはこの「仕方がなかった」が口癖になっている。
なんのためにランウェイ誌の編集長のアシスタントとして働いているのか。それを見失っている印象である。
アンディが目指したもの
当初、アンディはジャーナリストを多く輩出しているノースウェスタン大学を卒業後、彼氏のネイトや友人たちと共にニューヨークにジャーナリストになるためにやってきている。そこで、序盤の面接時にミランダにいったように、いくつかの出版社に手紙を送り、帰ってきたのはランウェイ誌を抱えるイライアスクラーク社の人事部だった。そこで、シェリーという人事部社員から「ランウェイか、クルマ雑誌か」といわれ、消去法でランウェイ誌の面接に臨んだのだ。
つまりファッション業界に入りたいのではない、あくまで足掛けとして出版業界の経験を積みたかったというのが本当のところである。
しかしながら、横暴な指示を出すミランダのやり口を考慮したとしても、結果としてひとつの仕事を完遂できなかったことから、泣き言を言い始める。飛び出し、ナイジェルのところに「ミランダに嫌われた」という。
ナイジェルもそうだが、ミランダも仕事に対しての「重き」がプロフェッショナルすぎて、視聴者を含めてほかの人間に理解されづらい。だから終盤の演出の意図にも気づく人が少ない。
ナイジェルがアンディに教えたこと
ランウェイ≒ミランダがしている仕事は、超巨大産業であること。
なぜランウェイでおしゃれに働く必要があるのか。それはファッション雑誌においてのセンスを磨くだけではない。ファッションに携わる以上、誰よりもその知識をインプットし、雑誌の質を上げ続けなければならない。個人レベルのセンスではどうこうできない。会議などで何をすべきか、という理解度がひときわ高かったナイジェルはミランダに認められている。
だから「学生時代に嘘をついて手芸部で腕を磨き、ベッドの中でこっそりランウェイを読んでいた」といっている。そんなファッションも何も知らない、自分の苦労やファッション産業の仕組みを理解していない・理解しようともしていない無知で大学を出たばかりの人間に「ミランダに嫌われた、失敗したときはこきおろす」と泣き言をいってきたというのは、それは甘えるなとなるだろう。
そこでアンディがこれから先どうすれば道が拓くのかという答えの途中に、まずファッション誌ならファッションを学ばないといけない、となり、ナイジェルに助言とハイブランドのサンプル品服をみつくろってもらう、美容部などでメイクの仕方を学ぶという道筋を歩むことになった。

当然ながら、このアンディへのサポートは、通常のファッションライターの業務を並行して行っていたと思われる。当然親交を深める機会ではあるものの、ファッションやメイクが無知の相手にプロフェッショナルな佇まいを叩き込むことは容易ではないだろう。
それゆえに、アンディが終盤、ミランダに「私は(私にとって恩があり、ミランダが認めていた)ナイジェルにしたような(約束を反故にするだけでなく祝賀会当日まで本人に何の説明もしない)仕打ちはできません」というのも頷ける。
ミランダがアンディに教えたこと-1
横暴さの中に、真実や核心に迫った言葉が見え隠れしているのが非常にウィットに富んでいる。
たとえば、アンディの仕事の初日、打ち合わせの場に同席するようナイジェルに言われ、メモをとりながら打ち合わせの風景を見ている場面。この場面、後にアンディは意図を理解せずにただ嫌味だけしか受け取れていないが、事実ベースだけを抽出すると、色の違い、自分が身にまとっている服の色が手元に来るまでを一挙に教え込まれている。
ファッションのトレンドが誰かに決められていることは誰かしら知っている。でもその作られたトレンドで生み出される二次利益、三次利益を考えたときに、これほどわかりやすい例はないだろう。
アンディは打ち合わせに参加している女性のひとりがベルトの色で迷っているというときにフフッと嘲笑する。
そこでミランダは怒るでもなく、嫌味を交えてはいるものの、ていねいにこう言い放つ。


「あなたには関係ないことよね
家のクローゼットからそのサエない“ブルーのセーター”を選んだ
“私は着る物なんか気にしない” “マジメな人間”ということね。でも、この色はブルーじゃない。ターコイズでもラピスでもない。
セルリアンよ。
知らないでしょうけど、2002年にオスカー・デ・ラ・レンタがその色のソワレをサンローランがミリタリージャケットを発表。セルリアンは8つのコレクションに登場。
たちまちブームになり、全米のデパートや安いカジュアル服の店でも販売され、あなたがセールで購入した。
その“ブルー”は無数の労働の象徴よ。
でもとても皮肉ね。
ファッションと無関係と思ったセーターは、そもそもここにいる私たちが選んだのよ。“こんなの”の中からね」
ちなみに、セルリアン、ターコイズ、ラピスはこんな違いがあります。

参考:https://www.i-iro.com/dic/category/world/blue-kei
こうやって見ると、セルリアンよりラピス寄りな色味をしている。
ミランダがアンディに教えたこと-2
色はともかくとして、その後ナイジェルの手助けを借り、おしゃれになることでエミリーと同じ視覚状態でどちらが有能なのかを判断しやすくなった。それゆえに、認めたという意味でも、これまでミランダはアンディのことでさえ名前を(アシスタント=)“エミリー”と呼んでいたが、区別するために「アンドレア」と呼ぶようになる。
どちらが有能なのかを確実にしたのは、「当時未出版だったハリー・ポッターの最終第7巻を用意しろ」という無理難題をこなした出来事からである。これがエミリーに可能だったのかはどうかは劇中触れられていないが、アンディは出版業界の中のランウェイ=ミランダという権威をふんだんに活用したにも関わらず、さすがに未出版で秘密保持の中にいる新作を手に入れるには難航する。そういった意味では、コネクションを活用したアンディのほうが有能なのではないかと思われる。加えていうと、そのハリー・ポッター第7巻を手に入れただけでなく、双子なので2つコピーし、外からわからないように手を加えている『配慮』をしていること。ここが明確な評価基準だろう。
時系列を最初にして思い出してほしいが、ミランダが求めているのは「ひとが何を求め、それを適切に理解し、タイミングをはかって動くこと」である。決して横暴さだけでワガママを言っているわけではない。そういった成長を期待しているのだ。だから序盤、最初に登場した際にエミリーに「私は多くを望んでる?いいえ望んでないわ」と即自己回答している。これは部下教育におけるとてもユニークな説明であり、指示である。
アンディにひたすら無理難題を押し付けているように演出されているが、これもうがった見方と言うべきか…視座を変えてみると「どこまでできるのか・どういう働き方の姿勢になっているか」を確認している作業と呼べる。さすがに人は選ぶべきだろうが。
結局アンディは“ミランダ”と同じなのか?━答え
結論として、違うと述べます。
終盤、恋人のネイトと一旦別れ、パリ行きになることになる。パリで行った先でミランダが離婚し子供のこれからのことを心配する様子を見て、ミランダに情がわきはじめる。
ハリー・ポッターの件で借りを作ったクリスチャン・トンプソンと異性的にいい感じになるものの、ミランダが解任されることを知るや、クリスチャン・トンプソンの元を去り、ミランダに知らせようと奔走する。結果として、ミランダは解任しようとするイライアスクラーク会長の動きはかなり前に察知して先回りして動いていたことが判明する。タイミングとしてはニューヨークのランウェイ主催のチャリティーパーティのとき。

パーティ会場に、イライアスクラーク会長と、フランス版ランウェイのジャクリーヌ・フォレが現れた際、ミランダが会長に「メモは読んでくれた?」と確認し、「水曜日に話そう」という流れにっている。
このシーンの時点でおそらくミランダはもう動いていただろう。そして、パリで会長に半ば脅しだが自分を解任すれば自分が育てた人間のリストすべてがいうことを聞きランウェイを去ることと、ジャクリーヌをホルトインターナショナルの編集責任者に任命する最終決裁をもらった、だから当日までナイジェルやクリスチャン・トンプソンなどの関係者たちはほとんど知らなかったというのが理解しやすい。(ミランダが会長にリストを見せて脅している場面がパリのロイヤルスイートに見える)

ミランダがアンディのことを「私と似ている」と言ったが、それは「この世界で生きていくためには(周りの人間を踏み台にしていくことは)必要なことだ」ということで、本記事の最初のシーンにつながる。
「私はナイジェルにしたような仕打ちはできません」
「やったじゃない、エミリーに」
アンディが「でももしこの世界が私の望まないものだとしたら?もし私はあなたのようには生きたくないとしたら?」と質問すると、ミランダは、「バカ言わないで、みんな私たちみたいになりたいと思ってるわ」と答え、アンディがミランダとは違うことを決定的に認識する。
結果として、車を降りると、ミランダとは別方向に去り、携帯電話を噴水に投げ捨てるなど、「周りの人間を踏み台にしていくこと」をその後すぐにアンディはミランダに意趣返ししているのが、昨今はやりの「スカッと系」を題材にしたものに近いだろう。そしてそれはミランダとは違うという証左である。
見返してみると、最初からファッション業界に興味がないにも関わらず、足掛けとして出版社に縁をもらいたいがゆえにたくさん手紙を送り、ようやく返ってきたところ、ジャーナリスト志望でありながら出版編集長=ミランダのことを調べもしないところにアンディの悪魔っぽさを感じる。プラダを着た悪魔というのはミランダだけを指しているわけではなく、アンディのことも指すのではないだろうか。アンディの場合はシャネルだが。
こうした経緯からミランダはアンディが脳無しではなく、本当に選ぶべき道を自分の意思で決定する実力を身に着けたことから、「採用しなければ大馬鹿者だ」というFAXをアンディの面接先に評価として送っている。これはミランダにとって最高の評価だろう。
そして、最高の評価を育て上げたという意味なのかどうかはさておいて、「お互い頑張りましょう」、「ありがとう」という意味で最後の最後にお互い微笑む終わり方をしている。これは観る人によって解釈が異なるだろう。
こういったことから、仕事へのモチベーションが下がったとき、プロジェクトやタスクの順序・内容・期待する成果に疑問を抱いたとき、自分自身の在り方に疑問を抱いたときのMP回復ルーティンの中に、「映画『プラダを着た悪魔』をみる」のである。
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