映画

映画:来る 考察

監督 中島哲也
原作 澤村伊智
出演 岡田准一/黒木華/小松菜奈/松たか子/妻夫木聡/青木崇高/柴田理恵/伊集院光/太賀/志田愛珠

「恐怖」とは

恐怖とは、理解できないもの、わからないもの、知覚できないもの、

そして対処できない「もの」である

評価

総合評価
怖さ
面白さ

予告編

あらすじ

オカルトライター・野崎のもとに相談者・田原が訪れた。最近身の回りで超常現象としか言いようのない怪異な出来事が相次いで起きていると言う。田原は、妻・香奈と幼い一人娘・知紗に危害が及ぶことを恐れていた。野崎は、霊媒師の血をひくキャバ嬢・真琴とともに調査を始めるのだが、田原家に憑いている「何か」は想像をはるかに超えて強力なモノだった。民俗学者・津田によると、その「何か」とは、田原の故郷の民間伝承に由来する化け物「■■■■」ではないかと言う。対抗策を探す野崎と真琴。そして記憶を辿る田原…幼き日。「お山」と呼ばれる深い森。片足だけ遺された赤い子供靴。名を思い出せない少女。誰かがささやく声。その声の主…・そ・う・か!・あ・れ・の・正・体・は、・あ・い・つ・だ! 決して「■■■■」の名を呼んではならない。「■■■■」は、声と形を真似て、人の心の闇に・・・来る!!! どんどんエスカレートする霊的攻撃に、死傷者が続出。真琴の姉で日本最強の霊媒師・琴子の呼びかけで、日本中の霊媒師が田原家に集結し、かつてない規模の「祓いの儀式」が始まろうとしていた。彼らは、あれを止めることができるのか!?

 

以下の内容には映画版の重大なネタバレが含まれています

 

『来る』のここが気になる

言霊

この映画に出てくる具現化した霊(?)が、三重県に伝わる架空の妖怪『ぼぎわん』だと言われている。だが、映画では敢えて名前や存在そのものを伏せ、曖昧にしている。

映画『来る』では、正体の明言を避け、ただただ恐怖そのものと人間の醜悪さに焦点を当てている。

昔こそ口減らしのために、赤ん坊を殺したり、老人を切り捨てたりすることは当たり前だった。作中でも「都合の悪いものはすべて妖怪のせい」といった具合に言っているが、まさにそのとおりで、現代社会ではありえない非人道的な行為が当時は当たり前とされていた。

口減らしは生活のためだし、先天性の障害が見てわかるものは産婆が首を絞めるなどは子供自身や周りのためだった。そして優位な遺伝子のみを残すことも、自然界では当たり前のこと。

だが、人間は自分のしてきた行為を責任転嫁し、妖怪という都合のいいものになすりつけてきた。これが口を揃え、実体化したのではないかとされているのが本作の『アレ』である。

つまり言霊で生まれた存在といってもいいだろう。

 

そして、本編とは脱線するが、最後まで「最強の霊媒師・琴子」は自分の名を名乗らなかった。

その理由としては、真名を教えることは他人に操られる危険性があるためなのではないかという説がある。『アレ』の名前を子供を脅かすために『ぼぎわん』とする(力を与える)一方、琴子については「真琴の姉」としか名乗らず防御に徹していたのではないか、と思われる。(中島監督の松たか子最強説)

家庭環境の不和

『来る』の中には、『家庭環境の不和』・『親からの愛情不足』・『現実逃避』(痛みから逃げる)といったテーマがある。

【『アレ』が生まれる原因】
  1. 秀樹(妻夫木聡)の幼少期の幼馴染の女の子「ちさ」の父親は酷い存在だった(秀樹の祖父の13回忌の親族の話)
  2. 秀樹は幼少期から現在まで「虚構まみれ」=嘘つき
  3. 秀樹は大事にしている気持ちはあるが、客観的行動は妻と子を蔑ろにしてしまっていた
  4. 香菜(黒木華)は秀樹の虚構まみれの態度と娘の知紗に対して育児ノイローゼのあまり、娘に暴言と暴力を働く

(キャバ嬢霊媒師・真琴は対策・対処として『奥さんと子供を大事にしろ』と言っている=これが正解だった)

以上から家庭環境の不和が原因とみられるが、

それならなぜ「秀樹の幼少期にも実家の玄関に現れたのか」が疑問になってくる

  • 秀樹の実家も、何かしら問題があったのか?
  • それとも幼馴染から感染してしまったのか?
  • もしくは『アレ』の名前を見たときに呼んでしまったのか?

その部分は映画では明かされていなかった。

 

しかし、秀樹と香菜との間に子供を授かってから無意識に名前を授けてしまったが故に「アレ」は知紗に取り付いたのではないかと思われる。名前を授ける行為は、魂を与える・体を渡す・独立させる行為といってもいい。

 

つまり『存在を認める』と宣言しているのと同義なのだ。

 

仮に死人の口を借りる(口寄せ)『アレ』が、堕胎された胎児や、ネグレクトやあらゆる理由で死亡した乳児・幼児の集合体だったのだとしたら、幼少期の行方不明になった幼馴染の「ちさ」の口を借り、憑依している「ちさ」の名前を我が子につけたなら、そこに集中的に融合するのも納得できる。

琴子が「この子は返す」と言った意味もここで納得できる。

【痛みから逃げる】

劇中、霊媒師・逢坂セツ子は「痛みを感じることができるのは、生きているものだけ」だと言った。つまり、生に向き合うこと=痛みが生じるという揶揄だ。オカルトライターの野崎(岡田准一)に対して言った言葉だが、野崎は無精子症な上に子供嫌いで、キャバ嬢霊媒師の真琴(小松菜奈)は子供を作れない体になっている。そんな二人が付き合っている理由も、お互いの傷の舐め合い=痛みから逃げていることに他ならない。

また、秀樹(妻夫木聡)も劇中ではイクメンパパを演じるブログを投稿する瞬間瞬間、ブログには書かれていない無関心さが現実逃避を彷彿させており、ブログの中だけは自分が思い描いた幸せ像を捏造していて、それがまさに「痛みから逃げている」行動の1つなのだ。

 

【オムライス】

知紗はオムライスが好き。

別段どうでもいい情報に聞こえるのだが、全く違う。オムライスは知紗にとって幸せの象徴であり、あの年頃にとって好きなものを思い描くという行動は、まさに現実逃避であり、「痛みから逃げている」行動である。

よって、劇中最後、知紗が夢の中でオムライスの夢を見ている=今後また、「アレ」に狙われる可能性は十分にあるし、逆に言えば幸せな夢を見ている=まだ祓われていない可能性だってある。オムライスは鶏卵を使った上に、トマトケチャップをたっぷりかけている。血みどろの子供という揶揄と思ってしまうのは、考え過ぎだと思いたい。

新しい母親・父親として野崎と真琴がいることが唯一の救いだが…。

なぜ『アレ』は鏡と刃物が苦手なのか

【鏡】

よくある、自身の姿を見せられることがたまらなく嫌い・もしくは他人の姿や口を借りるために自身の存在を映されることが苦手といったものなのだろうか。

【刃物】

これは完全に憶測だが、堕胎の際に使用される医療器具か、縁を「引き裂く」ものの象徴として苦手なのではないか。(子供は縁=縁を引き裂く=刃物)

また、単純に「信じられるのは痛みだけ」という理由から痛み(生)を引き出すものとして刃物を苦手としているだけか…。

なぜ芋虫が登場するのか

まず、子供は残酷であることを前提にすると、子供は生死の区別があまりつかず「モノ」として接することが多い。アリがセミの死骸に群がっている様子をただただ見つめるシーンなどがそれに当たる。幼い子ほど、人間の死がなかなか理解できていない。

続いて、幼心に残酷に虫を殺す経験を大多数はしてしまうだろう。触りすぎて弱って死んでしまう虫もそうだが、劇中では蝶の羽をつかみ毟っていた。そういう子供に残酷な目にあったものが登場するのか。

さらに、蝶は成長のシンボルという考え。蝶(大人)やサナギ(成長途中)になれず、芋虫≒幼児であるという揶揄。それが媒介として『アレ』を喚び込むのではないだろうか。いずれにしても『アレ』の正体が成長できなかった胎児や乳児・幼児の霊の集合体であるなら芋虫がシンボルであることの説明はつく。

日本の宗教・科学者大集合

映画『来る』では、『アレ』に対処すべく全国から霊能力者や電磁波(?)などを観測することができる科学者なども大集合する。エンタメ感満載だが、ここまで本格的且つ宗教のマッシュアップミュージカルを見られるのもなかなかない。

そしてこれらの連中を呼んだ理由としては琴子は「仰々しく呼ばなければならない」といっている。まるでこれは八百万の神々の扱いと同じということだ。妖怪の扱いとは異なる。

 

なぜ、このように神のような厳かな喚び方をしなければならなかったのか?

 

これは真に『アレ』の正体を知っているものしかわからないだろう。

個人的には、上述どおり「堕胎された子供・口減らしで殺された乳児や幼児・虐待で死んでしまった子供の集合体」だと思う。衣類に包まれた赤ん坊が大量に流れる浅瀬の川は、三途の川とはまた違うものではないだろうか。川は本来上(山)から下(河口)に水が流れるものだが、下から上に流れていったようにも見える。(左から右斜め上めがけて流れている)ということから、生まれたのに逆へ還っていく揶揄とも取れる。

 

という前提から察するに、正体が水子(+etc)の集合体なら、神扱いをしなければ呼び答えに応じない存在なのか、それとも確実に喚ぶための算段だったのか。最強の霊媒師があそこまで増援を呼んだ理由としては後者の説が強い。

【登場した宗教】

神道をベースに仏教を登場させているが、劇中、なぜか名刺を見せるシーンで「大川??」の名前が登場しました。

その人と関係があるのかどうかわからないが、本作は死者の口を借りる「口寄せ」を『アレ』がしているので…メタ的演出にくすっとしますね。

マンションを点に、結界を貼る祈祷師達。しかし『アレ』に次々とやられていく中、焦りの顔など見せない琴子。さらには物理的にも戦闘力が高い(松たか子が岡田准一をグーパンで殴る)上に、政治的コネクション(県警より上のお知り合いがいる)もあるというチートキャラ。

最終的に弱点の鏡(銅鏡?)を野崎に割られ、妹である真琴を心配したせいなのか『アレ』の体内への侵入を許し、「こんな失態は初めてです」とブチギレし、マンションのベランダから2人を落とした上にたった一人で『アレ』を撃退する。(ただしその後の生死は琴子が姿を見せていないため不明)

血まみれの(というか血しかない)『アレ』が襲いかかる方向とは逆に飛び出されたので、おそらく琴子の勝利なのでは…?と思う。全国の霊能力者全滅しているのに琴子一人で勝利というのはちょっとどうなの。(監督は松たか子をどうするつもりなんだ)

 

【ガチの柴田理恵】

本編とはいささか関係がない話だが、柴田理恵といえば久本雅美と同様、創価学会員で有名。そんな彼女が本作で霊能力者の役を演じるのはメタ的にはツボに入り仕方がない。

中島監督最高かよ…となった瞬間である。

いくら神仏混合とはいえ、創価学会としては神道を嫌っている説が流布されており、非常に難しい課題である。また、一部会員は鳥居をくぐれないという話をきくので、本作で神仏混合のお祓いをするシーンはある意味怖い

なぜ彼らではなく別の彼らが生き残ったのか

これは、本当の親である秀樹や香菜が『アレ』に殺されたにもかかわらず、野崎や真琴が殺されなかったのかという意味。

父性や母性を真に持った二人だから『アレ』に殺されなかったのではないだろうか。あそこまで瞬殺するような凶悪な『アレ』なのに、野崎や真琴は五体満足だった。

 

イクメン気取りで旧態依然の父親の秀樹・育児ノイローゼで不倫をし幼児虐待をした香菜。

対して過去に堕胎をさせたことによるトラウマゆえに子供嫌いになったのに、他人の子供に命を張る野崎と、子供を産めない体であるがゆえに知紗を本気で大事に想う真琴。この対になっている部分が、生き残った理由なんじゃないかと思われます。だからこそ、まだ終わっていなくても、『アレ』が知紗にいようと、希望を思い描かせるエンドになっているのではないでしょうか。

 

そういう意味では、『アレ』は昔から存在する水子(+etc)の集合霊として、現代に警鐘を鳴らす存在であると推測できます。

本作の怖いところまとめ

  • 純粋に来るぞ来るぞという雰囲気
  • サイコパスな人間
  • サイコパスな人間を利用する上位互換サイコパスな人間
  • 自分だけの力で霊能力を身につけるために自傷行為をする
  • お清めの塩を笑いながらゆっくり土足で踏み潰す
  • 演出とはいえ、お守りをハサミで切り刻む
  • 振り返ったら血プシャー
  • 気がついたら腕取れる
  • 宗教のメタ演出
  • 子供要らない・あげる発言

原作との相違点

原作のほうがより怖いという話をききましたので、読了後に改めて加筆修正し、新規投稿する予定です。乞うご期待!