ゲイがゲイをぶった切る2

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こんばんは、ユアタリ (@juaetaeri) | Twitterです。 

yuatari.hatenablog.com

今回は前回↑に引き続き、ゲイである僕がゲイに対して思うことをゲロります。

 

LGBTのうちゲイはLとTを無視する

ここ最近広辞苑の最新版においての記述が間違っているLGBTの「T」。レズ・ゲイ・バイ・トランスジェンダーの頭文字を取って「LGBT」と呼ばれているが、簡単にいうと同性愛+トランスジェンダーとなっています。

 

では、トランスジェンダーとは何か?

トランスジェンダー英語 Transgenderラテン語で「乗り越える」や「逆側に行く」を意味する「トランス」と、英語で「」を意味する「ジェンダー」の合成語)とは、一般に (常にではない) 生まれたときからもっているとされる、伝統的に社会で認識されている役割と同様の規範的な性役割に収まらない傾向を含む、あらゆる個人および行動、グループに当てられる一般用語である。近年の国際的な人権に関する文書においては世界的に承認された普遍的定義はもたないものの、性同一性が出生時に割当てられた性別と対応しない状態を意味する言葉として用いられる。

因みにトランスジェンダーのトランス(「TRANS」)は「横切って、他の側へ、超越して、向こう側へ」の意があり、「催眠状態やヒステリーの場合にみられる、意識が通常とは異なった状態」を意味する「TRANCEとは別語である。

トランスジェンダー – Wikipedia

というように、同性愛とは異なることが定義づけられています。

広辞苑最新版の報道においては

12日に発売された第7版ではLGBTを「多数派とは異なる性的指向をもつ人々」と説明している。(中略)ネット上で「トランスジェンダーと性的指向は全く関係がない」などと指摘した、トランスジェンダーの遠藤まめたさんは「せっかく掲載されたのに、誤った説明が広がるのは良くない。丁寧に説明をしてほしい」と話している。

www.nikkei.com

と日経新聞に掲載されている。

 

つまり広辞苑をまとめている人間ですらLGBTを一括りにしてしまい、よく知らないのだ。

 

さらに、当人たちであるLGBTの中でもとりわけゲイにおいてはレズやトランスジェンダーをわざとかどうかはさておき距離をおいている。

 

というのも、男性専用ゲイマッサージ等においては、『トランスジェンダーのご利用はお断りしております』の一文があったりする。これはどういうことなのか。トランスジェンダーはあくまで女性扱いを受けているということなのか?

 

実態としては掴みづらいが、ゲイ目線からするとあくまで女性ベースの人間はゲイとは違い「男らしい」一面が根本的に存在しないと無意識に思い込むがゆえに、排他的になってしまっている。当然のように男性専用とされているハッテン場はレズやトランスジェンダーは入れない。本人たちが入りたいかどうかはさておく。

 

簡単な話「竿」の有無で決めている人もいる。どれだけホルモン注射等で男性的な容姿になっているとしても、「元が女性」というだけで受け入れられない人も一部にはいる。

 

そしてこのような背景からも、LGBTと4つ並べて「LGBTに理解を」と声高く言っているものの、なぜ「ゲイ・パレード」と呼ばれているのか。その理解の中にレズビアンやトランスジェンダーは本当に含まれているのか疑問を生む。

 

幼少時にセクシャルマイノリティを教えるべきか

小学校のうちからセクシャルマイノリティの理解を深める道徳の授業が考えられているらしい。

www.asahi.com

 

ある親は…

「まだ目覚めてもいないのに教えることによって目覚めてしまうのが怖い」という親がいる。

結果的に同性愛者や性的自認が身体と一致しなかったとして、それはその授業があったからそうなったからではなく、なるべくしてなるもの。第二次性徴期に突入すると、ふざけ半分で男同士に性的処理をすることなんて今はじまったことではない。その結果としてLGBTになるのであって、学校の教育の結果でなることは考えにくい。

 

それとも親は自分の子供がセクシャルマイノリティになったら愛せないのか?

 

そんな親は願い下げだ。悲しい未来しか待っていない。まず教育を受ける必要があるのは親じゃないのか。学校ではなく、親が教えるものだと個人的には考える。

少女漫画における腐った演出ならびにBLについて

ボーイズラブ(和製英語)とは、日本における男性(少年)同士の同性愛を題材とした小説漫画などのジャンルのことで、1990年代中盤~後半に使われるようになった言葉である。元々は「耽美」・「JUNE」の言い換え語だったようである。のちにBL(ビーエル)と略されるようになった。作家、編集者のほとんどは女性、読者の大多数も女性で、ゲイの男性向けの作品とはおおむね別れている。それほど確固とした概念ではなく、ボーイズラブとそれ以外のジャンルを明確に分けることはむずかしい

ボーイズラブ – Wikipedia

表現の自由の範疇としてBLはなぜか「女性向け」として跋扈してきた。

男同士の恋愛や性的表現のあるメディア媒体で、なぜゲイではなく腐女子と呼ばれる「女性向け」ジャンルになってしまっているのかは、些かゲイとしては頭をかかえてしまう。

ゲイから見ればその腐女子に対しては一部嫌悪感さえ持つ人がいる。

綺麗に表現しすぎて本来の「男同士の恋愛やセックス」が文字通り架空にすぎなく、誤解を生んでいる。それゆえに、腐女子はゲイを見ると色眼鏡で興味をいだいてしまうことに一部のゲイは嫌悪感を抱いてしまうのだ。

 

ゲイにとって男同士の恋愛とは、男女間の恋愛とはそれほど差などない。セックスも妊娠はしないが(全員が全員ではないのがすべてのジェンダーも同様)性病予防のために避妊具も着ける。

 

フィクションとして楽しむ分には問題もなく、またゲイ漫画家なども同じようにフィクションとして楽しんでいる分には問題がない。

 

ごくたまに妄想と現実を見分けられない亡者(腐女子)が、デリカシーのない目線や質問、そして行動にうつしてしまっていることにゲイは注意してほしい。極端な例を知らない人たちに教えてそれを拡散してしまっていないかどうか今一度思い返してほしい。

ゲイイベントのお遊戯会的演出

とある人はいった。

「ゲイナイトは同窓会みたいな感じ」だと。

クラブでメンズオンリーのイベントで、ストリッパーであるゴーゴーボーイが鍛え上げられた身体を見せつけ、ドラッグクイーンが妖艶で芸人顔負け(?)の芸を披露する。

 

誰がとか、どこがとか、そういうものは省略するが良くも悪くも「ゲイのお遊戯会」である。

だがそんなものに入場料3000円を取り、また大きな箱ではハッテンスポットと化した女子トイレで不衛生なまぐわいをしていることは、問題にはならないのだろうか。

 

また面白いのが、そういった世間には一切見せてない部分を隠しながら「ゲイに理解を」と声高くいっている矛盾な人物も中には存在する。

店子のバースデーに女装する習慣

なぜだかゲイバーの店子やママなどのバースデーや周年において、女装(や仮装)をする習慣がある。

彼らは普段から女装をするわけでもなく、ゲイバーの商業ホゲの延長線でのパフォーマンスの一環として女装をしている。それでたとえばバースデーではその店子に千円札をおみくじの厄落としのように括り付け、カフェパやモエやヴーヴなどのシャンパンをおろす。

キャバ嬢やホステスのバースデーでそんなことはあるだろうか。おそらくない。

せいぜいいつもよりもランクの高いドレスや着物で接客をし、シャンパンはおろすものの、現金を厄落としのように大量に括り付けたりもしない。大衆演劇みたいに一万円札のタスキなどもしない。する人はするだろうが、どうしてここまで違うのか。

そもそもゲイバーのスタッフの大半が時給がパチンコ以下(しかも22時以降の時給アップなどない)、なのにお酒のリスクを背負い、(ホストもないが)キャバ嬢やホステスのような送りもなく、基本的に口座制でもない。それでいてなぜか芸人のような面白さを唐突に求められる。彼らはここまで体を張って何を頑張っているんだろう?と不思議になってしまう。

雇い主からすれば時給しかコストがかからず、飲み要員としても活躍し、同伴もなく口座制でないのならボトル代は店の儲けになる非常にリーズナブルな労働力。

 

彼らは本当に好きで女装しているのか?

洋画の吹き替えのホゲ

なぜか洋画や海外ドラマの吹き替えに登場するゲイの言い回しがコテコテのホゲ口調なのだ。なかには普通の喋り方をするゲイも登場するのだが、ほとんどがコテコテ。どうしてなのだろう?視聴者に「この登場人物はゲイである」とわかりやすくするためなのだろうが、全員が全員その口調なのかどうかは不明だし、吹替版でかなりイメージが固定されてしまう。

男らしさを貫いたゲイだっているだろうし、口調がホゲてないゲイだっているだろう。

 

なぜか吹替版で口調がホゲているゲイ役の海外スターたち

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ポール・ルーベンス – Wikipedia

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アラン・カミング – Wikipedia

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スタンリー・トゥッチ – Wikipedia

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ウィリー・ガーソン – Wikipedia

認知と理解は違う

前記事でも述べたかもしれない。

だが、セクシャルマイノリティがマジョリティになることは考えにくいゆえに、ゲイパレード(レインボーパレード)などで多様性を訴える運動をしている人達がいる。その人達は声を揃え「理解」と訴えている。

 

レインボーカラーの旗やプラカード(?)を持ち、何を理解しろというのか、ゲイである自分にも理解できないのにヘテロ(ノンケ=ストレート=異性愛者)に理解できることがあるのだろうか。上述した、レズビアンやトランスジェンダーを差し置いてゲイたちは自分たちの理解を促進することに頭がいっぱいで、他のセクシャルマイノリティの重要性や多様性はあまり考えてなさそうに見えてしまう。

 

仕方のない事かもしれない。「何を」理解すべきかどうか「認知」していないのは自分たち自身なのだから。

 

他のセクシャルマイノリティ同様、ゲイも生きづらさを感じているのはヘテロからのゲイ弾圧や思いやりのない言葉や、視線。

 

一方で何を理解すべきかどうかと考え直すと、セックスだけに重きをおいたゲイが多く存在するなかでそれを理解するのは難しいということ。その反面、普通に暮らしているセックスだけに重きをおいていないゲイ以外のセクシャルマイノリティはただ色眼鏡で見られることのない「受け入れられる社会」の認知と理解を求めている。

 

一部のゲイの汚らしいセックスだけに囚われた人たちには一生理解はされないし、自ら差別をしてくれといっているようなものだ。ゲイは逆にヘテロの存在や考えを理解すべきだろう。

異性愛 – Wikipedia