小話

昨今のタトゥー事情・裁判について

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こんばんは、ゆあたりです。

 

今回は、2017年9月27日に大阪地方裁判所で医師法違反の有罪判決を受けてしまったタトゥーの彫師の件について殴り書きます。

 

 

医師免許を持たずに客にタトゥー(入れ墨)を施したとして、医師法違反(無資格医業)の罪に問われた彫師、増田太輝被告(29)の判決公判が27日、大阪地裁であった。長瀬敬昭裁判長は「保健衛生上の危害が出る恐れがあり、医療行為に当たる」と述べ、罰金15万円(求刑罰金30万円)を言い渡した。医師法にはタトゥーの施術に関する明文規定はなく、彫師を巡る初の正式裁判として注目されていた。

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タトゥーは本当に医行為なのか

この裁判の争点は、タトゥーが医行為であるかどうか。この裁判が起きるまで、タトゥーはいかなるライセンスなどなくとも彫ることが可能な芸術的行為であり、憲法で定められた「表現の自由」の範疇だった。

 

彫師のどういった行為が医行為なのかは「針」を使うかどうか。そしてその資格がなくとも、素人が見よう見まねでその機器さえあれば簡単にタトゥーを彫ることが可能であること。それが、「衛生的に」よくなかった

 

細かい法律上の云々は専門家に仰ぐとして、我々パンピは現代においてタトゥーは芸術の範疇である認識が多く見られており、医者や医療資格を持つ人がタトゥーを彫るといったことはまったく想像されていなかった。ハードルの低いものであったといっていい。

 

しかしながら、この判決に対し否定的な意見が調べるうちに出てきており、肯定的な意見は皆無に等しかった

即日控訴されたこの裁判。たかだか地方裁だけで終わる話ではないだろう。文化がどうとかいう話は感情論なのであって、論理的に追求するなら衛生面だけで十分だ。その衛生面においての「括り」が横暴ともいえる判決だったのはタトゥーを彫っていない自分にさえ感じられる一方的なものであったといえる。

 

どうすれば解決されるのか

たとえば、この判決は簡単に言うと「医行為と認める。なので医療資格を持つものしかタトゥーだめです。よって本件は医師法違反で罰金15万!」だ。裁判の中、当然のように弁護側は感情論に走った。「医師がタトゥーを彫らない。タトゥーを彫るために医師免許は取らない。なぜならタトゥーは現代の自己の文化だから。」などだ。

 

針を使う医療従事者といえば、「鍼灸師」だ。

 

これも国家資格が必要なので、医療資格といえる。そういったライセンスや規定をしかと決めれば彫師という職業が法律的にも確立されるようになる。これは誰しもが簡単にすぐ思いつくこと。(さらにいえば簡単にこの判決で失職者がたくさん出てしまうということが想定される)

 

余談だが、同じような問題で、ピアスも同様にある。自分でピアッシングすることは何ら問題はない。だが、他人にピアッシングすることは「医療行為」であるため、医師法違反であるということだ。しかし、ほとんどの医師はピアッシング目的で医師になったわけではないし、ピアッシング目的でくる人を毛嫌うとか。

 

このライセンスというものを規定することなく、単純に0か100かで「括る」裁判だからこそ横暴と非難されるのは仕方がない。また、非社会的行動を取る人をしょっぴくために違う罪で捕えるための理由を一つ増やしただけとも見える。これも「括り」だ。

 

タトゥーを彫っていることはピアス同様自己満足なのだから、それに伴う弊害を取り除くものを定める話に続かない司法に対して、アンダーグランド化が進み「話を上げさせない」ものになってしまう。これでは容易にタトゥー≒悪となってしまう。

 

単純な話、ちゃんとしたコミュニケーションさえ取れていれば、このような極端な判決はなかった。

 

そもそも

医療というのは何か疾病や怪我など負って、それを診てもらったり治療したりすることであって、タトゥーとは何ら関係がない(ド素人による失敗の修正や消去はともかく)。なのにそれに該当するかのようにするのはお門違い。タトゥーによって、皮膚に異常をおこさせないために専門資格を持つのは順当だし、そういう話もなく単純にダメダメといって終わらせるのは思考停止の上に悪化の一途をたどる。その責任は司法や行政は一切負わない。今まではそれぞれのタトゥースタジオなどの独自の手順で衛生管理を行っていたのだから、それをフラットにするのは当たり前では…?

ニュースを読む限り裁判では、どのようにして危害が出る恐れがあるのかという具体的指摘に欠けていたし、医療関係者の専門的な意見も出ていない。 

 

この上で

裁判も踏まえ、識者や専門家の意見を取り入れた法・行政整備をするのは、馬鹿でもわかるだろう。裁判官は耳を貸さないのではなく、すでに決まったものを言い渡したように思えるのは気のせいだろうか。果たしてこれは「裁判」と呼べるのか。