お薬記録

デパス・ドグマチールを飲むようになるまでの経緯

現在にいたるまでの精神科で処方された薬を記録することを目的として綴っていこうと思います。

さすがに詳細さえ省けば「雇用契約」違反にならないだろうし、後述する業界の特定にはほぼ不可能だろうと思い、本記事をかたかたと綴る次第です。もし、特定できたとしても、僕は「絶対に認めません」。

2015年1月

当時、僕はとあるスナックのスタッフでした。そこは、当時でこそストレートの男性がマスターをする、カウンターだけのスナック形式の飲み屋さんでした。

観光バーのオーナーさんに紹介してもらって、働き口を見つけたそのスナックは、後にも不幸にも「テキーラ」好きのいわゆる酒キチのお店だったのです。

営業時間からも、クラブ・ラウンジ・キャバクラなどのホステスさんのアフター向けのお店だったため、飲ん兵衛ホイホイだったわけです。

そこで、真冬だった当時。

僕は高熱ながらも出勤し、案の定テキーラを飲みましたが、高熱の影響で仕事ができず、たまたまお客さんにもらった解熱薬を飲むと記憶が飛びました。

気がつくと、「どうしてこんなことをしているんだろう」とすべて投げ出したくなりました。僕がいる場所は真冬の極寒の非常階段でした。倒れていました

ポケットに入っていた携帯電話で、当時付き合っていた彼氏に電話で助けを求めた記憶はありますが、叱咤され、意識がはっきりしたとき僕は自宅で寝ていました。

その後、高熱は収まらず、それどころか両耳がもやがかかったようで聞きづらく、体も思うように動かず、「ああ、これはもしかしたら死ぬかもしれない」と思いました。中耳炎でした。

年明け、延々と高熱は引く様子もなく、正月ということもあり病院ももちろん空いているわけもなく、薬もなく。ただただ死んだように寝ていました。耳が機能しないことがここまでストレスとも思いませんでした。

その後、体調面を考慮し、そのお店をやめさせてもらい、昼職を探しました。

後から考えれば、それも間違っていたのかもしれません。

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『データ入力』という職種

データ入力という職種で求人がかかっているのを見たことがないでしょうか?

タイピングに自信のある僕はすぐさま面接を受け、即採用されました。

そこは、別の意味で、またも地獄でした。

詳細は決して言えないのですが、とある口調・文章を構成し、それをもとに閲覧者に課金させるいわゆる「アレ」です。

違法性があるかないかと言われると、グレーであると僕は思います。

そこで、僕はバイトリーダーに近いポジションの、中間の中間に抜擢、時給もあげてもらいました。管理者と呼ばれるポジションは断らせてもらいましたが、その会社のNo.3には「異例の出世」と言われるほどでした。

休みの日にも、数字を送ってきたり、文章を考えたりとまさに仕事のために生きていました。とあるひとはその会社を「軍隊」と呼んでいました。

はっきりいって、「労働基準法」なんて言葉は幻でした。ですが、僕が入った時は甘いと言われました。僕が入る前は、デスクに座っている従業員の椅子を蹴ったりしたそうですから、まさに「お察し」ですね。

そこまでならお金のためと思い、がんばれましたし、この記事も書くことがありませんでした。

事は起きました。

上司が、バイトの女の子と付き合いだしたのです。

隠しているつもりだったのでしょうが、それがバレ、社内風紀も崩壊。(依怙贔屓が容易に想像できたし、事実、依怙贔屓はあったので、社内のバッシングは恐ろしく視覚的に分かり得ました)

そして、何故か統括に僕が監視役に抜擢され、何かあればすぐに報告をするように命令され、上司との板挟みに置かれたのです。

本気で部署内の雰囲気改善には全力を注ぎました。わからないことだらけから人へ教える立場に。

元彼氏にDVを受けたとき、我慢しつつも溢れる涙を抑えながら出勤することもありました。私生活を犠牲にし、お金のためだけにひたすら働きました。痣だらけで出勤もしました。

でも理由はわからず、彼のことが好きだった。それに比例するように僕の心は確実に蝕まれ、仕事も正直限界がきていました。

見切り

前述の通り、風紀的に最低な職場なので、バイトが飛ぶなんてことはザラなのです。

その理由も様々なのですが、高額な罰金制度が大きな要因ではないでしょうか。

お給料面では、正直今の倍近くもらっていました。寝る以外のほとんどを仕事に費やしたのですから当然の金額です。当時僕は数ヶ月のあいだに、同棲していた家の家賃、光熱費、ネット代、二人分の食費、相手の携帯電話料金でさえ出しました。相手は完全にヒモ状態です。

もう擦り切れる寸前でした。

付き合っていた彼への依存。しかし、彼の心ここにあらずで新しい恋愛を始められ、さらに彼は家に他人を入れ行為をされ、いったい誰が味方なのかさえもわかりませんでした。

信頼できる相手なんて、もういないんじゃないかと自暴自棄にもなりました。

そして、ある日出勤し、いつもどおり仕事をしていました。新人3人を相手に業務指示を出していたですが、後ろのデスクにいる上司は彼女とべたべた。

統括は数字しか見ず、新人の暴走を止めようにも前線に行かせ、失態を僕のせいにされたのです。僕は言いました。「新人にいきなり売上に直結させる作業ははやいから、売上を左右させない部分で慣れてもらってからにしてほしい」。

上司は、こう切り替えした。

「早いうちに慣れておかないと、成長しない」

結果は新人が「するな、といっていること」をわざわざ連発、意思疎通もできず、すべて終わってからの事後確認、最終的にすべての責任を僕に持ってきたのです。

自分が責任者でもないのに、投げたら投げっぱなしで人のせいにするなんてとんでもないと思い、結果辞めました。「然るべきところに報告する」と、給料を振り込まなければすべてばら撒く勢いで、自分の正当性を訴えました。

結果、無事に給料は振り込まれましたが、やつれきった僕はまさに満身創痍で、薬を飲みまくりました。言動や行動がおかしいとは気づかなかったんだろう。なぜなら元彼も、新しい好きな人に振られたあとだったから。自分のことしか考えていなかった。お互いに。

絶望でした。

僕はなんのために毎日12時間以上働き、その給料のすべてを生活費にまわしていたのに、そのあいだにされていたこと。

最後のボロ雑巾のような扱いを受けた僕の気持ちなんて、数字の前では無力でしたし、彼の心の中にはもう、福沢諭吉としか見えてなかったのでしょうか。

精神科へ

「病名って何になるんですか?」

「適応障害ですね」

医者はそういいました。

当時、吐き気が常にあり、体力もなくなっており、毎日死ぬことを考えていました。

「まず必要なのは、休養です」

ありきたりではありますが、医者はそういいました。

そして、「ドグマチール」そして「デパス」を処方されました。効き始めた時のご飯が何よりも美味しく感じました。白米ってこんなにおいしいのか、豚肉ってこんなにおいしいのか、と感動しました。

適応障害は基本的に、問題のある場所から変われば緩和されるものとされています。

その後

ドグマチールがデプロメールに代わり、デパスが0.25gから0.5gに(頓服分も)増え、さらにソラナックスが処方されました。寝付きが悪いせいもあり、途中からアモバンが追加。アモバンがマイスリーに変更されました。

* * *

2019年現在、減薬に成功し、まったく飲まなくなるまで秒読みまで回復しました。

このような状態に回復するまでに、とても長い時間を感じましたが、今は比較的冷静に物事を見る余裕も出来るようになりました。ただ、いつ、あの地獄のような状態になるかどうかはわかりません。

自分の人生は自分が主人公で、自分だけが自分のことを1番理解しなければなりません。

生き地獄に落ちる必要など、誰もないのです。皆様も、お体とご自身をご自愛ください。

しがないゲイ
ユアタリ
ジャンル不特定で書きたいことを書く。それがたとえ悍ましいことであっても。欲しいものは「ボキャブラリー」。

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